2017-12-08

【BOOK】「好きなことだけをして生きていく」のは面白く無い。

好きなことをして生きて行く、と言う考え方は大事だが、「好きなことだけをして生きて行く」のは面白く無いと思う。

と、いう大それたことを言うと、私をよく知っている人からは

「おい、ちょっと待て! お前、好きなこと何でもやっているやんけ!!! 」

と言われそうだ(笑)。

確かにその通りではある。

でも、私は決して好きなこと「だけ」をしているわけではない。

が、それでいいのだと思っているし、それが「好きなこと」に繋がって、「さらなる好きなこと」に昇華していっていると感じている。

そもそも、なぜこんな話になったのかと言うと、

先日、心屋 仁之助さんの「「好きなこと」だけして生きて行く」と言う本を読んだのだ。

これはとても面白い本だ。とても面白い本なのだが、その反面、それぐらい自分の人生で好きなことをせず生きている人たちばかりなのかと言う衝撃の方が大きかった。

読んでいる印象だと、アクションベースでは「何か好きなことを小さくやっている人に対して、「嫌なことはやめて好きなことだけやっていけばお金が向こうからやってくるよ!」と言う感じ」なのだが、マインドベースでは「周囲の評価や将来が心配で好きなことが少しもできない人に対して心の大きな枷を取り除き、「とりあえずやってみんしゃい」と発破をかける感じ」で、個人的には「対象とする人」と「示唆する行動の内容」に不整合を感じ、違和感が残ってしまった。それは、まだ好きなことをやったこともないような人に、いきなり「嫌なことは何もやらなくていい、好きなことだけで生きていけ。他人にどう思われようと問題ない。合わせる必要もない。」と発破をかけ、それを真に受けた人間が好きなことを決めて会社を辞めてフリーランスとなって、嫌いな利害関係者には口をきかず、自分の思い通りに生きると言うことで「昼前に起きてきて夜明けに寝る」ような生活を送ったが、結局大して好きではなかった、ということになったとしたら勘違いも甚だしいし、容易に立ち直れないだろう。
だから、ある程度好きなことを続けてきた経験のある人間にとってはすごく示唆のある中身なのだが、「これから好きなことをやってみよう!」と言う人の心の枷を解く起爆剤としては、言葉は正しいが少し極論過ぎやしないかと言う気がするのだ。

いずれにせよ、人はそんなに「好きなこと」ができないのかと言うことで、
世の中に似たような書籍がどれぐらい発行されているか、アマゾンで検索してみた。

「好きなこと」で検索してみると、何と! 他にもたくさんの関連書籍があった。

そんなにみんな、「好きなこと」やってないって思ってるの???? どんな世の中やねん!!!!!!!

だいたいそれ以前に、「自分の好きなこと」持ってない人多すぎやーーーーん!!!  

そして、好きなことはできるものであって、作るものではない。順序が逆やーーーーん!!!

と、ちょっとしょんぼりしてしまった。

私にとっての、好きなことは、面白いこと=自分がやってみて実際に面白いと感じ、人に積極的に勧めたり、そこから交流や繋がりが生まれると思えることをやる、いわば内なる衝動が込み上げてフロー状態になることである。では、自分の「好きなこと」とは、一体いつわかるのだろうか?

没頭する、熱中する、研鑽するなどの好循環のフロー状態に自分を持って行くには、ある程度の時間や練習、学習や経験が必要な場合が多い。そうしないと、本質に触れる機会がないことが多いからだ。そう言う状態であるのに、まずそこまでのプロセスに対して時間と労力を割くことができないで挫折する人が多い。

どうしてだろうか?
それは、「なぜ?」が生まれ無いからだと思う。物事自体への関心が低いのと、長い消費と広告漬けの生活の中で受け身であることに慣れてしまっているのだ。

やっぱり自発的に「もっと知りたい、もっとやってみたい、もっと繋げてみたい!」と言う探究心と好奇心があってこそ、好きなことに育って行くし、そう思うためには、自分の中にたくさんの「知識と経験のストックの引き出し(=頭と身体の教養)」を持っていないと物事と自分の接点が生まれない。「自分ゴトになって初めて、人は興味が湧くのだ」と広告の教材で読んだことがある。逆に言えば、自分ゴトにならなければ、何も面白くないのだ。そして、その自分ゴトは自身の経験や知識の厚みによって左右される。だからこそ、ある程度は最初から選り好みをせずに、なんでもやってみる、なんでも学んでみる、と言うプロセスの積み上げが必要だ。

「なぜ」うまくいかないんだろう? 「なぜ」この結果になったんだろう? 何がどうなれば自分の今までの経験と繋がって行くのだろうか。これを今度こうしたらこうなるんじゃ無いか? なんか上手いことできひんかなあ。あ、これ繋がるなあ!!、とかそう行ったことだ。

「好きなこと」と言うのはそこからの話である、と個人的には思う。
それは、全く好きなことがない人にも当てはまるし、好きなことがある程度固まってきた人に対しても新境地への展開を遂げるためにそう思う。

そして、そう言うプロセスが必要だからこそ、「好きなことだけをして生きていて」も、それ以上の世界は広がらない。

なので、「好きなことだけをして生きて行く」と言うよりは、「好きなことをするために生きて行く」と言うのが、私にはどうもしっくりする。別に好きじゃないことをやってもそれはそれでout of comfort zoneじゃないかと思うし、やってみてそこで面白さを発見できないならやめればいいし、断捨離といえど世の中には自分の意思ではやめられないことだってたくさんあるだろう。

心屋さんの
「他人に合わせる必要はないし好きじゃない人とは付き合わなければいい、自分のポテンシャルを信じればいい、心配するほど世の中はそんなに怖くない、とりあえず一歩踏み出せばいい、それなりの生活でいいと思っている人にはそれなりの生活しか巡ってこない。好きなことさえやっていれば金は後からついてくる」

と言う内容は、言葉としてはその通りだと思うし、できる人はぜひそうすればいい。
ただし、極論過ぎるとも思う。ぶっちゃけ、日常生活の中で好きなこともできていない、見つけられていないような人がこんなことできるだろうか。

自分一人だけの思い通りにいかんのがこの世の中である以上、その持ち札の中でいかに面白い空間を自分で作って行くかが勝負であるし、そのために自分の中でどんどん「嫌いなことを手放す努力」「手放せないものを面白くする努力」「好きなことを実現する努力」をして行けば良いことだと思う。 それは「好きなことだけをして生きている」わけではないが、「好きなことのために生きている」。そのほうがクリエイティブだし、面白いと個人的には思う。何の制約も無く、いくら予算をかけてもオッケーで面白いことを見つけてみぃ、と言っても自分との接点がなさすぎて見つけるほうが難しい。 

そして何か一つを見つけたとしても、そのほかにも実はもっともっと面白いことが待っているかもしれない。
本当に脳が現状で「好き」だと思うことだけをしていると、人は結局退屈になると思う。

その辺が、「本の内容」に対してこれから好きなことをやろうとしている人が誤解してはいけないと思う所だ。

ところで、「好きなこと」に出会うのに、簡単で最良な方法は「個人旅」だと思う。 総合的にいろんな経験を好き嫌いなく満遍なく与えてくれるから、結果的に自分の好きなことに出会いやすい。

あー、またどこか新しいところに行きたくなってきた。

今一番行きたいところは、イラン(2回目)、トルコ(8回目)、タタールスタン、カザフスタン、ロシア、インド、フランス、マレーシア。
全部大好きなイスラーム文化が出発点となっており、自身で探求をしていった結果、興味が湧いてきたところである笑。

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