演劇が辛いのに続けて良かったと思う時
7・8と劇団の毎年恒例の演劇合宿に行ってまいりました。
かつらと着物の暑さと帯のしめつけのあまり、汗はだらだら、頭はくらくらしていて
公開リハでも最初は芝居どころじゃなく、困りました。何が暑いってかつらがあつい!!
そして汗で顔に次々に張り付く。良く考えたら、
今までの衣装はすべて薄着だったから何も思わなかったんだなあ。
本番のことを考えると、こりゃー大変だわ。。。。
がまん大会などでがんばるしかないかな。。
でも、うれしかったのは、公開リハでベストを尽くせたこと。
前半で重視していた振りや踊りも少しずつ動きとして固まってきたことと、
今まで「こういうふうにしたい」と思いつつ、うまく再現&気持ちを乗せることが
できなかった後半のシーンが、自分が非常にしっくり来る形で感情の起伏が
未完成ながら表現することができて、かつ、ラストのシーンも今まで温めていたけど、
恥ずかしかったり、どうそれまでの芝居とつなげて表現していいかわからなかった演技の案が、
すっと無理なく自分の中に入ってきてつながって、さらにすごくいいと思う形に変化して表現できたこと。
ホントにびっくりした。今でも不思議。
団員の多くから「ラストの芝居にうるっと来て感動したよ!」とか、
「ここでこんなことしちゃうなんて、考えたね」とか、
「こんな芝居のプラン、いつ隠し持っていたの、アナタは!」
などと言ってもらえたり、演出からも
「荒削りだけど、演技が本物になりつつある。課題はわかっている
はずだから、私たち内輪の団員だけじゃなく、観に来てくれる500人を
感動させられるように頑張って」
と珍しく激励を受けた。
合宿を通して「役に近づくために、芝居の恥じらいを捨てて成長する」っていう願望は、
公開リハで少し達成できたと思う。
「恥じらい」というのは、「入団時から5年が経った今でも持ち続けてる、自分の芝居へのコンプレックス」と、「自分がイメージしている、役の感情の起伏がうまく芝居に合わせて再現できない」というのと、「普段の生活での自分自身がなかなか素直な感情を表情に吐露しづらい」が色々ないまぜになってる。 そういったことが合宿の極限状態で吹っ切れて、表現したかったことが少し再現できたこと、さらにそれを認めてもらえたことが、これまで芝居をやってきた中で一番嬉しかった。
特に今年は芝居や自分の役柄の特性上、個人的に役に色々な悩みポイントを
抱えていたにも関わらず、この数ヶ月間、試験や仕事の時間を縫って稽古場に行っても、全員のシーンにかかりきりで、自分が出るシーンの稽古がない週がどんどん積み重なっていったのが不安で苦しくて、ほうっておくとどんどんモチベーションダウンしてしまう自分の気持ちに歯止めをかけたいと思っていたものの、モチベーションダウンから脱出できない自分にモチベーションダウンしたりして負のスパイラルで笑。
いや、全体最適を考えると演出的には当然のことなのです。たとえ自分が演出だったとしてもそうしている。
わかってるので、なお、たちがわるい。
それでも気持ちに整理をつけて、自分なりに役や振りを考えて練習するなど、
解決方法を模索しようとしてきた。
そこで、合宿の試演にきてくれた観劇者の
「演技が印象的だった。今の演技はすごく苦労があったんだと思う。」という感想に
まるでぷつっと糸が切れたかのように、今までの苦しかった感情がぶわっとあふれてきて、
団員がみんないるのに堰を切ったように涙が出てきて、押さえられなくて。
個室に戻ってもしばらく止まらなくって、困った。
あとは、トルコに行ったことがきっかけで自分でも気持ちがリセットされて、
考え方が本来の「超ポジティブ」に戻った。それまでは、芝居がわからなくて、
取り急ぎ自分でもとっつきやすい、所作や動きなどの美しさなど「美の象徴」という
表面的なところを追求していた部分があったけど、直接芝居の練習をできなくても
「自分の出ないシーンをもっとよく見て脚本全体や自分の役の気持ちの流れを考える」
「自分の役作りで悩んでいるところは脚本家や共演する人に相談する」など、
当たり前のところに立ち返ってまた芝居に一からちゃんと向き合って考えられるようになった。
それは自分にとってもすごくプラスになったと思うし、他の人の変化にも
今までより少し敏感になったと思う。 最初は、この役の設定や、言葉や動きの制約が
やりづらくてすごく抵抗があったけれど、自分の幅を広げるいい機会をもらえたと思う。
まだまだ未完成なので、この吹っ切れ感を本番までキープ
したいなと思っています。あきらめなくてよかった。
いろいろな気持ちがあって、うまくまだ整理が出来なくて書きなぐりですいません。