2016-11-19
夜の語り部〜好奇心への誘い〜
今宵のわたしのお話が貴方の好奇心を満たし、
治世安楽に役立つならばこの上ない幸せでございます。
わたしですか?
わたしは、今日の万華鏡のような世界を見通す千一夜の夜の語り部を引き継ぐものです。
幼い頃から長らく旅と共に暮らしておりました。
旅と一口に言っても、物理的に遠くに行く旅、書籍とともに想像力を働かせる旅、何かを成し遂げるための旅、年齢という旅、現実への苦悩と葛藤の旅、未来の自分を探す旅と、その種類は様々でございます。
そんな中で、わたしの生き方を変えた旅が二度ありました。
一つは、海の向こうが人種の坩堝の国であり、人は見た目も価値観も違う事が当たりまえなんだと知った十五の歳の旅。二つ目は、世の中にはイスラムという豊かでゆるい文化があることを知った二十一の歳の旅でした。そしてそれから十年の歳を重ねながら多くの国や書物との出会いを経て、わたしは「あること」を体感したのです。
それは、世界では様々な出来事が様々な国で互いに何の因果関係も無く平面的に起きているように見えるものの、実際にはそれぞれの事柄が過去と密接に、かつ動態的につながっており、現在進行形で未来を形作っているということ。そして、その未来を見つめることによって、同じ世界で生きる自分自身の未来を考えることに繋がってゆく、ということでした。
、、、少し話すぎましたね。
ここまで話すと一気に重い雰囲気になりますが、世の中のあり方に素朴な疑問を持つこと、自ら世界の因果関係を探究することは大変わくわくすることです。歴史は所詮、誰かにとっての歴史でしか無いのです。見つめる人の色眼鏡によっては、一つの歴史的事象が白にも黒にもなります。そして、その真実を見たものは誰も生きていないのです。大切なのは、その描写や価値観が誰にとっての歴史であるかを心得ること。そうすれば、自ずと答えが浮き彫りになってまいります。
そうです。
これからお話しすることはイスラムの世界を出発点とした、わたしがわたし自身の目線で見つめてきた世界の今と未来なのです。
もう一度、考えてみましょう。
なぜ、世界史からイスラムが消えたのか?
なぜ、世界史からイスラムが消えるような世の中になったのか?
イスラムは本当に世界史から消えたのか?
もしそうだとすれば、「世界史」とは一体誰の何の歴史なのか?
その答えはスペインにあり、
発端はポルトガルにあります。
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