2017-11-22

いつかどこかから客人が来る家

「うちの敷居をまたぐ者がひもじい思いをするのは許せへん!」というポリシーのもと、友人が遊びにくるたびに全力の母。

「そんなんほっといても若いし慣れてるから大丈夫やで(ヒドイ)」と私が言っても「いや、また誰かくるかもしれへんから買う!」と言って聞かない笑。ちなみに今回のお客布団は私の高校時代に大阪の同級生が遊びに来た時に新調したものらしい。

林業が盛んだった我が家は、昔から人の出入りが多かったし当たり前だったので、体制や感覚がいつもいつか来るお客ありきになっている。実際、隣やその隣のおばちゃんは勝手知ったる家族みたいなもんで普通に出入りしている。そして、イスラームのおうちも旅人や交易や巡礼の文化だから、お客が自宅に出入りしたり、隣人と助け合う体制がデフォルトで整っている。いつかまた自分が助けられるかもしれないし、ある意味みんながゆるく繋がっていて、みんなで暮らしている感覚になる。それでいて、お互いのことに深くは干渉しすぎない。

多様な人(不審者は除く)が出入りすることはどういうことかといえば、それは人が集まるということで、人が集まるとはどういうことかというと人財と情報が集まるということで、人財と情報が集まるということはどういうことかといえば、逆に情報を流すこともできるし、世の中の風を先読みして何か面白いことをするインフラやコミュニティが整いやすいということだ。それは仕事だったり学びだったり芸術だったり平和だったり。それがゆえに、広大なイスラーム文化圏においてメッカへの巡礼という、多様な人や文化が回流する仕組みが汎用的な布教と文明の興隆と異文化理解に大きく寄与してきたんだと言える。

これはリアルでなくオンラインでも同じ。そして、そういうフラットな暮らしを作ることとと、一般的な都市部の規格消費経済圏との折り合い点を模索することに心惹かれている。

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