ありのままでひらけている。そんな感じが好き。
お陰様で家庭や友人との調整がつき、地元の秋祭りの後のイラン行きが確定しました。
一緒について来てくれる人も、
情報をくれる人も、
人を紹介してくれる人も
みんなにホントに感謝。
これから相変わらず人づての旅程プランニング頑張ります。
シルクロードエリアに興味を持ってくれる人が増えてきて嬉しいな。
ホントに嬉しいな。
こーゆーマイナスからイメージを切り拓く感じ、ゾクゾクする。
奈良もまだまだ皆の滞在のイメージは低いけど、切り拓いていくよ。
海以外なら歴史でも自然でも食でもなんでもあって、すごい面白いんだもの。
在住のわたしでさえ、知れば知るほど奥深くて楽しい。
そのまま、ありのままにある感じが良い。
そして、ありのままとずーっと時間を共に生きて来た感じが良い。
すごい歴史遺産も、すごい自然も。
特別扱いすることなく、悠々と。
それは、昔の有名人を有名人として気にすることなく、普通に長い時間かけて一緒に暮らしてるみたいな感じ。
自然の八百万の神様や、たくさんのご先祖様、過去の人々と一緒に、長い時間を分け合って生きている感じ。自分一人の時間じゃない、とてつもなく悠久な時の流れの中に身を置いているかんじ。
生々流転というが、
すべての新しいものがいつかは朽ち、老いていく。
それらに例外もないし、置き去りにもされない。
都市では常に前にすすむことが求められるので、老いていく朽ちていく終わりへの時間がみえないが、地方ではそれが色濃く見える。
命の終わりと、次の命へのバトンのサイクル。
無限の時間の中の自分に与えられた有限の時間を感じ、急かされも遅れもせず、誇張も卑下もせず、ありのままに変わっていく。
ありのままの生々流転だから、厳しい面もある。
誰も自然の摂理を超えて助けてはくれない。
生きるために物理的に何かを自分の手で生み出す力がなければ、淘汰されていく。
その面では都市よりは生きることにずっとシビアだ。生存本能がないものは生きていけない。
逆に言えば、生きるための何かを自分でやろうとしたら割となんでもある環境。
土も薪もお日様も。
いざというときの生活手段が揃ってる。
シルクロードに話を戻すと、残念ながら闘争や支配のいろいろな影響を受け、今を「ありのまま」というのは難しい。
だけど、そこに連綿と育ってつながってきた文化はやはりとても豊かだなあとおもう。
奈良は中国や朝鮮半島を通して大陸文化の影響を存分に受けて、育ってきた古都であることを改めて感じる。
ありのままにひらけている。
そんな感じが好き。
そしてそんな感覚が、IT革新スピードの一方で、今は生物として本能が求めてるんじゃないかともおもう。
どちらも生きていく上で必要であれば、もっと気軽に都市と往き来しながら、一つの仕事や企業にとらわれず、地方のこともやりながらどこでも多様な仕事ができる環境になっていけば良いなあ。
二拠点とケチなこといわず、いくつでも。
ちなみに、写真は「大和名所園会」。
ずーっと前の書物だけど、
昔のみどころがイラスト満載で面白い。