2018-06-09

【6.28 21:30-】わらしべ旅語り 第三夜〜旅の視座〜

私達が身近に触れる文字も、写真も、絵画もすべて誰かのフィルターを通して表現される二次情報である。そんなフィルターは、個人の視座とも言い換えられるかもしれない。

旅人の能力は、地元民にはそれを超えて向こう側を見ることのできない地域的条件から離れ、一次情報を元にその関係を抽象化できることにある。そしてこの特質は空間を移動することによってのみ生み出される。

そのプロセスはしばしば「視座の昇華」という言葉で表現される。新しい世界を知るだけでなく、それがこれまでの世界と共存する第三の世界を知ることにつながり、思考が客体化される。そういったことの積み重ねで世界の中の自分の思考の座標軸がどんどん最適化されていくのだ。

しかし。

しかしだ。

キングレイクが嘆いたように、その旅人が自分の視座を超えて公平に伝えようと心に決めた世界の真実は、それを語る主体や、主体の視点から決して切り離すことはできないかもしれない。

「彼の自己中心性そのものが、つまり外的世界全体を自分の感覚に関係付ける習慣が、ものを書くときの彼を無意識に強制する。なので、彼があなたに事物について語る時、それらの事物のあるがままについて彼の知るところを語るのではなく、彼にとってそう思われる事物について語るのである。」

そしてその関係がそのまま、イスラームと欧米、都市と地域、京都と奈良のような対比に当てはめられる。二次情報の中で語られているにもかかわらず、あたかも頭の中には一次情報のようなイメージが形成されていくのである。

「自分の足で旅をする」重要性はこのギャップに気づくことに尽きると思う。そしてわたしは、私の二次情報であることを前提にしつつも、そのギャップによる魅力をもっともっと共有して、人々の一次情報の獲得と視座の昇華の体験を増やして価値観を形成して行きたい。つまり私としては一見マイノリティとされるイスラーム文化圏や奈良の中南部の暮らしの重要性や面白さを感じてほしいんだけど、東京のわらしべワークスパートナーのsaekoさんはどう思う?

というお話を、おなじみオンラインイベント「わらしべ旅語り 第三夜 旅の視座」にて6月28日に実施いたしますー!

と言って、こないだ忘れてすっとばした告知をきちんとやる宣言をここにします笑。

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