千と一夜の生きる旅
私にとって「旅」は、生きるうえでの自己鍛錬と、インスピレーションの感覚調整の場であり、そのために旅に行く前にガイドブックを読むことはほとんどない。
そのかわり、歴史や文化時事情報などは事前に山積みで読む。行く場所への立体的なイメージや感覚の余白を逃さないためだ。事前インプット情報は、現地に自身が行けば必ず覆されるのだが、それによって何の情報が違っていて、どこでそれが曲げられたり隠されたりするのかをある程度肌感覚で知ることができる。
そして帰ってきてから、また旅のフレッシュな情報やインスピレーションを受けた分野に対して、本を山積みで読む。それは現地の歴史に限らず、宗教、経済、民族、食、工業、技術、地政、自然など多岐。なぜなら全てが縦横に繋がってリンクしているからだ。そしてそれは調べれば調べるほど、お互いがシナプスのようにどんどん密接に繋がってくる。同分野について「山積み」であることが重要なのは、一冊からだと客観的な評価が難しいためだ。
そういう状態だと例えば、
以下のようなことが起こる。
本棚を買い、本を買い、本が溢れ、
また本棚を買い、本を買い、本が溢れ、
なお本棚を買い、本を買い、本が溢れ、
さらに本棚を、、もう置けないので、泣く泣く断捨離し(基本的に本は汚したくないし手放したくもない)、本を買い、本が溢れ、
だんだん捨てられる本の数が減って来て、
今やダンボールに積み上げ状態(イマココ)。
この調子で、よりよく生きるための世界探求ばっかりしているので、千夜一夜の屈指のストーリーテラーのシェハラザード嬢と、海と砂漠を超える冒険家のシンドバッドのハイブリッドなミステリーハンターになれるかもしれない。
自分の置かれた環境に興味がない人も多いが、なぜいまの世界がこうなっていて、これから放って置くとどうなっていって、どうしていけば波に飲み込まれず面白く生きられるのかを考え続けている。そうすると、分かったこと、考えなきゃいけないことを伝えたり議論したくなる。それが合法的にできるのは添乗員やガイドだ。彼らは、自身が自覚さえすれば世界中のフレッシュな情報や情勢をフロントラインで収集できて、伝播できる立場にある。最近はそれらを自覚して、無関心でガラパゴス化した観光客に健全な危機感と疑問を持つ力をもたせてくれるガイドもいる。
そういう人に出会い、実際に興味を持つ人が増えていく様子を目の当たりにすると、自身も血が湧くようなワクワクした気分になる。
自分の居心地の良い環境を出て、
旅と本と人が揃わないとわからない世界。
でも、そんな世界に惹かれてやまない。
というわけで、千夜一夜よろしくそんな話をわいわい語れたら面白そうだなあ。
みんなが探求を始めたら、凄いことになりそう。
シェヘラザードとスルタン(王)。
シェへラザードはその屈指の道徳的かつエンタメに満ちたストーリーテリングで、結果的に王様を殺戮から改心させ、政治を安定させたとも言える。