2018-01-28

【BOOK】「文化」は進歩するものではない、ただ変わるだけなのだ。

『文化は進歩するものだ、前進するものだ』と言うのは迷信なのです。これは、ただ変わるだけなのです。流れていくだけなのです。その文化の流動の姿を調べるのが歴史というのです。

全て文化は進化する、ということは迷信だと思います。基本的なものは、進化ではなく、変化するだけなのです。それなのに、現代の私たちは、今の生活に対する誇りを持ち、やがて誇りが古代に対する大変な軽蔑感を作り上げています。(中略)しかし、そんなことは決して言えないと思います。今と変わらないもの、今以上のものを、古代人が食物生活文化の中で知っている、ということができるのです。

調理技術にしても古代人はほとんどのものを知っています。例えば燻製があります。(中略) 燻製というのは、一番初期の調理法の一つなのです。また、奈良時代の人々はバターやチーズを食べていました。以後食べなくなり、また再び食べるようになったため、いかにも近代的なものだと思われているだけです。(中略) そういう意味で、私たちは反省する材料として歴史を学ぶのであり、過去に憧れたり、ただ過去を賛美するだけ、または過去に対する軽蔑や比較をして今に対する誇りを勝手に持つだけにあるのではなく、明日からもっと人が幸せな生活を送るために、歴史という学問はあるのです。

著者の一人である、樋口清之さんの記載されている上記の導入部分に、思わず「そうそうそう!そうなのよ!!」と共感し(笑)、引き込まれた本。
昭和61年の本だから、少し古いがめちゃくちゃ面白い。

日本人の食べ物として身近なものは、一度飛鳥時代、奈良時代に奈良に来たものの、その後京都に都が移ってから廃れて、再度その後の時代に流入して来たものが多い。牛乳もチーズもバターもあったから、牛乳テイストの飛鳥鍋なんて郷土料理があるわけだし、こないだは伝承料理研究家の奥村さんにて飛鳥時代のパエーリヤ復活講座が実施されていたり、当時の食文化は充実していたのではないかと思われる。ちなみに、パエーリヤのような米の炊き方も、サフランもペルシアから伝わったものだ。なお、同じくかつてのイスラム圏でペルシアの文化が伝わったスペインのパエリア本場であるバレンシアでは、チキンパエリアが郷土料理だ(魚介のパエリアは日本人が好きなだけで、本来は違う)。奈良にも「かしわ」と呼ばれた鶏料理が食されて来たし、飛鳥鍋にも鶏肉が使われている。

飛鳥時代から奈良時代の頃の日本は特に外向きで、国際的に大陸の文化や人をどんどん取り入れて、技術混淆・昇華・土着化させていく成長期であった(雰囲気的には明治維新のように外国のものをなんでもどんどん積極的に取り入れる、国の基盤とアイデンティティ形成の過渡期)。しかし、それが平安時代になり、国家基盤も整い、ある意味完成された状態で京都に都が移ると、既存の文化を独自に洗練していく内向き・安定・豊かを中心とした国風文化の時代になっていく。

それは、私の思う京都と奈良の違いでもあって、京都は外国人でも初見で完成・洗練されていることがわかる建築・文化が多いのに対して、奈良は歴史をある程度理解している人でなければ東大寺と春日大社とシカを見た後に退屈になってしまう。

しかし奈良の面白いところは、何も無い時代、文化混淆の時代、国家形成時代の混沌とした激動の創成期を走り続けてきた強い強いエネルギー(ハングリー精神)と、それに費やしてきた悠久の時空間が、現代の時代においても自然、神社仏閣、日本文化などに姿を変えて残存していることだと個人的には思う。そして、実際に日本の信仰や生活文化のルーツを辿るとほとんどのものが奈良を起点に興っている。奈良はそう言う意味で、大陸文化・人を積極的に取り入れる国際性を持ち、それらの混沌とした各国の文化技術をローカル向けにカスタマイズし、土着化させ、全国に広めていく、スピーディーで最先端のイノベーション拠点でもあった。

それが、平安京として京都に都が移ってからは、そこまでの勢いも混淆もなくなってしまったように思われる。そして不遇なことに、なまじ京都よりも歴史がどーんと古いので、平重衡に南都の焼き討ちにあったり、自然災害があったり、戦乱で燃やされたり、明治時代の廃仏毀釈で集中的に廃寺にされたり諸外国に流れたりで、必然的に当時のままで現存できているものが少ない。だから、初見で見ただけではわかんない上に、残ってるものも少ないし点在しているとあれば、形から入る人には正直その面白さは伝わりにくいんじゃないかと思う。

そういう人たちに、オススメしたいのが以下の本だ。

サラッと読めます。「へー、ほー、ふーん」って感じで、オムニバスで色々な日本の食のルーツのトピックスを奈良に限らず理解でき、読みやすいです。逆に言うと中身はあまり突っ込んだ話は書いていないです。広く浅くたくさん知りたい人向け。最初に読むには、なぜ奈良に食のルーツが集まっているのかが腹落ちするし、結構面白いんじゃないかな。

これは、本当にラーメンが好きでなければちょっと読みにくいかもしれない。飛鳥鍋の奥村さんが、安藤百福さんと対談しながらラーメンに限らず日本の麺類の歴史について語っている。これらを読むと日本人の生活や食は信仰の発展(仏教や修験道、神道など)と切っても切れない関係にあることがわかる。例えば禅とお茶や、食事の作法、寺院と清酒、墨や紙、修験道と精進料理など枚挙に遑がない。一昨年に訪問した新疆ウイグル自治区のラグメンや涼麺などの中国近辺の麺のルーツにも触れられている。

全てのことはつながっていると思うのだ。文明が発達すれば食も発達するし、文化が伝播すればその土地にあったようにローカライズされるし。そういった面白さをもっと追いかけていきたい。

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