ペルシアの光はどこからきたのか〜奈良を照らす景教と祆教の謎〜
ネストリウス派キリスト教は唐では景教とよばれた。
その意味は光の宗教ということらしいんだが、なぜどうゆう経緯で中国では光になったのかということが気になっている。
というのも、元来ゾロアスター教の神様アフラ=マズダは光の絶対善神だし、シーラーズにあるイスラム教シーア派の聖地は光の王という意味のシャー・チェラーグ廟があるし、いくらそれぞれの宗教がペルシアの土着信仰に基づいてローカライズされた結果に光を大事にしているとはいえ、そもそもそうなるに至った理由があるに違いない。
ネストリウス派はユダヤ派キリスト教とも言われていてヨーロッパでは異端扱いになっているけれど、中身を見たところで特別何か光に関係あるような内容は見当たらない。
ちなみに、そういう経緯でユダヤ教やイスラエル関連ゆかりの場所や言い伝えが古代日本にも多いのだけれども、そんなあれこれの話の中に聖徳太子がネストリウス派キリスト教徒だったとか、太秦が秦氏(ネストリウス派)の拠点だとか、蘇我氏は実は渡来人で、聖徳太子のお母さんの穴穂部間人(あなほべのはしひと)は、ペルシア人(パールシー、ハーシーと当時呼ばれた。はしのきよみちというペルシア人官人が平城京で働いていたという記録もある。)だったとか、聖武天皇の奥さんの光明子の光はゾロアスター教かネストリウスから来ているとか、いろいろ楽しいインターナショナルな説があるし、どれも時代的にありえない話ではない。
たまにペルシアで有力だったゾロアスター教とネストリウス派キリスト教とマニ教の中身がごっちゃになって、「聖徳太子はゾロアスター教徒のユダヤ人」とか「ペルシア人でユダヤ人」とか不思議な論説してる人がいるけど。もちろんユダヤ人も亡命したんだろうけど、どちらかといえばユダヤ教に近いネストリウス派キリスト教を拝するペルシア系渡来人が入ってきた結果、ユダヤ(ネストリウス派)やゾロアスターにゆかりのある文化や場所がたくさん奈良や京都に残ってるっていう方がわかりやすい気もする。そういう意味では古代ペルシアが間接的に日本のルーツに与えた影響は計り知れないほど大きい。奈良の通訳案内士的には、そうゆうシルクロードのインターナショナルでイノベーティブな歴史を今でも感じられる所が残っているのが、時空間を超えた奈良の魅力のようにも思う。
そんな話はどうでもよくて、なぜ光を選んだのかということなんだなー。光ならゾロアスターのほうがそれっぽいのに。もしかして中国もごっちゃになっていたのかな。
とゆーよーな、奈良で感じる古代シルクロード旅を企画中です笑笑。
まだ告知できていませんが、7月の三連休はぜひあけておいてくださいませ!!
(スペシャルコンテンツを沢山盛り込んだ奈良シルクロード合宿をやります)
目玉は、、、、、(私の独断と偏見による)勝手にイスラーム映画祭とウズベク料理会でプロフをみんなで作ることかな!!
あと、だれもやったことのない奈良時空超えツアーをやろうとしております。(シルクロードだけに)