2018-11-28

地方の「おしゃれ」という名の壁紙について考えたこと

話の中で、都市部から来た人が悪気なく「田舎に(しては)こんなに(都会的に)おしゃれな〜」と地方の新しい施設や店舗を紹介するのにモヤっとするという話題が、地方と都市のどちらの友人からもちょくちょく出るのと、それを聞いて東京からのUターン組の私自身も思うところがあったので頭の整理を兼ねて文字に落としてみようと思う。

話の中身はこんな感じだ。

地方の「おしゃれ」と言われる地域のデザインはどれも似たり寄ったりで、上から同じ壁紙を貼っているかのように感じる。まるで地域での創生デザインマニュアルがあるかのように、どこの地方にいても見た目もインフラも商品パッケージも似たものが多く、デザイン性は感じるものの、そこから地方自身の培ってきた個性や日々の生活は見えないし伝わって来ない。

それが「デザインであり編集だ」と言われれば身もフタもないのだが、都合よく欲しいパーツを作って切りとられているようにも感じる。そしてそれが地元の人だけなのかと思ったらそうではなく、都市の一部の人もその「都市的なおしゃれ」をメディアにアピールされることに対してモヤモヤしている。

都市部風の壁紙が良いならば田舎にわざわざ来る意味は無いし、「おしゃれ」の概念において本来場所は関係無い。都会でもダサイものは全国的にダサいし(都会にこんなにダサいところがー!という宣伝文句は多分無いだろうが笑)、地方だろうがおしゃれなものは全国的におしゃれだ。

きっと、「地方は田舎で発展途上だから、都市部の人々を誘引するには都会的おしゃれに倣うものだ」という発信者の潜在意識にある前提条件が、あたかも総意であるかのように対外的に、「田舎にこんなおしゃれな〜」の言葉として発信される時に、人知れずモヤっと感じてしまうんだろうなあと。いや、別にそこを求めて日々生活してないし。

一方、都市部の人にとっては、果たして都会風おしゃれな場所を勧められてわざわざ地方へ行きたいと思うのだろうか?というモヤモヤがあるそうだ。それなら本当に都市や地方の関係なくおしゃれなところに行った方がずっと良いからだ。この話をしてくれた人は「最近はどこに行ってもデザインのおしゃれさはあるけれど、どこに行ってもほぼ同じ見た目だし、求めている地域の良さはそこじゃない。」という感じだった。

もっと魅せるポイントは他にあるんじゃないかと思うし、本当に誰がみてもおしゃれだと思うなら「田舎に」という前置きをわざわざつける必要もない。

それよりかは、「日本にまだ見ぬ個性的な(歴史的な)〜が◯◯地方にあった!」とか「すっごくおしゃれな〜を追求した人の店が◯◯地方にあって面白い!」とかのほうがよっぽど惹かれる。と。

なるほどたしかになあ、と思う。

で。

わたしは中高大の大阪と社会人の東京でそれぞれ10年過ごしたUターン民として、発信する側も受ける側もどっちの感覚もわかる気がするのだが、他所からの人に「こんな田舎にこんなおしゃれな」と対外的に何度も強調されるとしたら地元民としてあまり気分が良いものではないなあと思う。自分でいうなら良いんだけどね笑。

ちなみに都会でも田舎でも「おしゃれ」に疎い人間であるわたしが思うのは、地方に求められるものは徐々に都市的、そしてポートランド的おしゃれさからシフトして行きそうな気がすると言うことだ。

もし自分が何かをやるとしたら「田舎にこんなおしゃれなところが!」ではなく「日本にこんな面白い所が!個性的で変な人が!」と言われるような絶対的な個性と面白さを追求したいし笑

と言うようなことを感じながら、家のことをどうしようかなーとあれこれ考えていました。

地元民としては中途半端で動きにくい葛藤があるものの、都市のことも地元のことも理解できるUターンの立ち位置は、いろいろ学ぶことも共感できることも多いし、案外橋渡し的な存在としても貴重なのかもしれないな。

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