【BOOK】表現を仕事にするということー小林賢太郎
小林賢太郎さんの文章は、いつ読んでもシンプルクリアで好きだ。
本の帯には、「どんなに思ってもみない出来事も、それを経験したからこそ、たどり着ける未来があるはず」というメッセージ。
これを読んで私は、先日こもれび書店さんでミンゾク×ミンゾクというイベントがあった時に飯田先生がおっしゃっていた「Presence Matters」という言葉を思い出した。
何事も、自分のものとして吸収するにはその場に居合わせることが重要であるということ。
全然終わる気配を見せない「ガラスの仮面」の月影先生も「どんな小さな経験も無駄になることはない」とおっしゃっているように、多様な経験をするということと、そこから能動的に何かを得ようとする意思が少なからず将来を形成していると言える。私自身も世間的には無駄の多い異色の経歴であるがゆえに、悩んだときはいつも励まされる。
目次
ラーメンズもポツネンも、カジャラも
彼の作品は全部好きだった。劇団にも好きな人が多かったせいで、彼のコントの脚本を実際に演じてみたりもしていた。だけど、彼が作品を重ねれば重ねるほどいつしかその表現の密度の濃さと閉鎖性に心理的な葛藤を感じるようになって、だんだん観るのがしんどくなった。そして、気づいた時にはもう全く見なくなっていた。ギリジン(片桐仁さん)をはじめ、バナナマンやおぎやはぎとバカばっかりやっていたころのラーメンズやKKPのコントあたりがフレッシュで、とんがっていて、イキイキしていて、楽しそうだった。そうだ、「彼の楽しさ」を感じられなくなってしまったのだ。それはなぜなんだろうと思っていたことが、そして彼がなぜ第一線をあんなに早く退いてしまったのか、オリンピックの顛末についてどう思っていたのか、この本を通して垣間見れたような気がする。今なら何が好きかと問われれば、きっと無邪気さが残っているハナウサギじゃないかと思う(もはや演劇でもない)。それでもやっぱり彼の多様な表現に向き合う姿勢が好きなことは変わらない。
天才かどうかは問題ではない
彼のことを天才だとも思っていない。才能があるかないかは別としても、根っからのA型っぽい努力家なんだろうし、それでいうとギリジンの方が明るく天才肌のように見える。賢太郎さんのものは、むしろ緻密すぎるんじゃないかと思うぐらい緻密な積み上げを感じさせる表現である。でも面白い。
セミプロでいきます
「上手なアマチュアとプロの違い」論についても興味深かった。彼らの「プロ」の足元にも及ばないが、私たちもアマチュアでありながらも舞台公演の本番1週間前は、体調管理に徹底的にこだわっていた。追い込み稽古をしても喉を潰さないように、風邪をひかないように、なんなら生理まで遅らせられるもんなら遅らせようとしていた。万一、喉を潰した時のために即効性のあるプロポリスを常に持ち歩いていた。平日は会社で激務をしながらでも、普段から役に近い服装や話し方をするように心がけていた。階段の上り下りにおいては、足元を見ないで訓練していた。役柄に合わせて体重の増減のために運動や食事をコントロールしていた(10kg近く落としたこともある)。普段はほとんどしないメイクは、2ヶ月前から試行錯誤していた(なので、会社ではメイクが濃くなったり、つけまつ毛をつけるようになったら「本番近いの?」と聞かれるようになった)。月曜から金曜まで普通に9〜11時頃まで残業やって、土日は一日中稽古があるのだが、それでも朝早くにジムに行って体力と集中力を鍛えていた。その意味ではアマチュアであるが、気持ちはプロのつもりだった(だからセミプロといわれていたのかもしれない)。まあ、私の場合は同期の中で演技もセリフ回しもイマイチで「才能がない」と辛い気持ちのまま続けていた時期が何年もあったが、それも努力の積み上げと時間(経験)の問題で解決することもあって、結局その気持ちも時間もどこか何かの形で無駄にはなっていない笑。
いつか自分のジャンルを自分で
「自分のジャンルを自分で作る」という内容にも心惹かれる。認められる保証はどこにもないが、誰よりも第一人者になれる。私もいつかそんなジャンルを手に入れたいし、もっと頭のネジを抜いて面白そうなバカになりたい。何歳からでもやりたいことに挑戦はできるのだから、動かない方が勿体無いに違いない。
最後に私の一番好きなコント「新噺」を。