【私とトルコインターン2006 その7】クオリティへの疑問から生まれたもの
前回の続きです。人生の転機の一つ。
また、私は現地で研修生だけどアイセックメンバーの一員として、日本の会社のためにトルコ人研修生のマッチングの手伝いもしていて、
現地のアイセッカーに(彼らは日本とのマッチングは非常に喜ぶ)、
「この日本の会社は受け入れが始めてで、スキルの高い人がいいんだって。」 と研修生さんを紹介して欲しいと頼んだときに、パソコンでぱぱぱと研修生のIDを出して、「これが一番クオリティ高い。これはまあまあ。これでもいーかな。じゃあ連絡よろしくね。」
と本人にその企業に対して連絡や関心があるかどうかの確認を得ることもなく、勝手にマッチさせようとし、研修生の意思を反映していないことが悲しかった。
中国人のプロジェクトで来ている研修生は、自分のアコモは一緒に住んでいる人が 夜の九時まで帰らないので、それまで入れないそうだ。
だから、毎日夕方になると危ないのでアイセックのオフィスまで来て、毎日時間を潰しているらしい。
疲れているときでも、早く帰りたいときでも、そうできないのはどんなに心細いことだろうと胸が痛んだ。
彼女は笑っていたが、やっぱり毎日がキツイと言っていた。
普段での生活もそうだ。
何かを頼んでも
男の子には「それはよくわからない」、女の子には「心配ない、全部ちゃんとしてあげるよ」と答え、
結局どっちに対しても何にもやってくれない。
たとえば、「友達が来るから安ホテル紹介して」って言ってもダメ、
「観光旅行でイスタンブールへ行きたいからバスチケットの売り場教えて」もダメ、
「ブルサのLCの研修生用のメーリングリストへ入れて(6回くらい頼んだ)」もダメ、
「アイセックのツアーの詳細教えて」もほぼダメ、
なので、研修生が自主的に集まってミーティングを開くこともあるらしい。
私は、そこでアコモとか研修のことについて話し合うのかと思ったが、「休日の過ごし方」について相談しているんだって。
なんか一緒に出かける相手もなく、アイセックの人もつきあってくれないので 一人寂しく下宿先に篭もっている研修生が結構いるみたいで、そんな 同好会まで出来てしまったようだ。
他のところで働く研修生においても 仕事がないと漏らしていたのだが、他の研修生に 「ノーペイの研修生にそれほどの仕事がないのはここでは当たり前のことなんだよ」
とまで言われたそうだ。
でも。でもね。
「当たり前だ」とアイセックがいうのは簡単だけど、
私たち研修生は、この一瞬のために ほんとうに多くのお金と、貴重な時間と、決心を持って研修に来ているんだよ。
この研修のために、本当に苦労して借金してお金を集めた人もいるんだよ。
実際、状況を改善できないのは仕方がないかもしれないけれど、
私は正直悲しかった。
とても悲しかった。
アイセッカーは人柄はいいし、何度も言うが友達としては非常にいい人たちばかりだけど(ほんまに!!)
アイセックとしては、問題がある。
彼らは将来自分のビジネスを立ち上げることを目的にしてアイセックに入っている ことが多いから、どうしても研修もビジネスライクになってしまうのかもしれない。
実際、アコモやら普段の生活やら、
仕事やらで色々研修生の間で問題が広がっている。
アイセッカーが彼らの心を汲み取ろうとしていないからだ。
何を頼んでもなしのつぶて、何度言っても聞いてくれない、そりゃ研修生は傷ついて 母国のアイセッカーのほうを頼るのはそれこそ当たり前の話だよ。
それを、いざ母国のアイセッカーからトルコアイセックに指摘があったときに 「なぜ問題があるなら私達に言わない?」と研修生に怒るのは本末転倒だと思う。
もし、現地アイセッカーが研修生に母国のアイセックメンバーよりも 現地アイセッカーに心を開いて欲しいならば、研修生を「人」として扱わなければ成らない。
やらなければならないこととして 数と一定量をこなすことに忙殺されてしまうならば、そこで言う彼らの「クオリティ」なんてものは、名前だけが一人歩きをする全く上滑りしたものになるだろう。
私だって、研修をきっちり一生懸命やろう、頑張ろうと思ってここへ来たのに、最初はほとんど仕事がなく過ごし、次のTNに変えてもらったときも担当のアイセックから何の連絡もなく、研修をきちんと始めたいと思っている私からすると、連絡を待って待って 待ち続けているのは非常に耐え難く、その一連の連絡状況の悪さと今までの対応に対する腹立ちから、
自分は何のために研修に来たのか。
何でいままでの貴重なお金と時間を費やしてここにただぼーっと待ち続けているんだろうと思うと、
悲しくてむなしくて、
自分の環境を変えようともがいてももがいても
いつまでも思い通りの研修が得られない自分に対してイヤになってたまらなかった。
うだるような暑さが続く中、
つらくて、胃が痛くて、自分の不運が恨めしくて
ホストシスターのネスリハンが驚いてわけをたずねたが、私は「私はただ正確な情報が欲しいだけなのに」
と繰り返すばかりだったので、多分彼女も私が新しい研修先にいつ行くのかわからないということだけで泣いていると思ったに違いないだろう。
いずれにせよ、彼女はアイセックに連絡を取ってくれようとするなど とても気を遣ってくれた。
(のちのち研修担当者から、「何で泣いたの?ちゃんとボクは今日はイスタンブール行って無理だから、明日に行こうって言ったじゃん。キミが泣いたら悲しいよ。」
と連絡が入ったが、
もちろんそんなことは聞かされてなかった。
また、ネスリハンも人に言うなよ~~~~~!!!!前にも日本人は人前で泣かないもんだって言ったじゃないのさ。。。
も~~~でも彼女はいつもよくしてくれるから文句は言えないのよね笑。。)
で、この日を境に私は現地アイセックに一切頼らなくなる。
期待をしなければ、がっかりもしない。
どうしても必要な場合は、何を頼んでどのように誰に話をつけるのが一番効果的かを考えて直接オフィスへ行って、その場ですぐ動いてもらえるまで話すことにした。
何もかも曖昧でテキトーなので、それがトルコ式の文化なのかもしれないがただでさえ、ホームステイさせてもらっている手前色々気を遣って行き返りの時間帯を気にするのに、
その上いい加減な情報に振り回されるのは本当に腹が立つ。
習慣は時間の経ったシミのようなもので、
容易に落ちないし、変えられない。
それを変えたくて変えられない時、
自分が変わりたくて変われない時に
私達はもどかしくて、
自分がいやになって、
とても小さい人間に思えてしまう。
でも私が思っていることは、
私自身が表現しなければ
誰にも伝わらないし、
そこには何の変化も生まれない。
そこでの痛みは必ず起きるものであり、恐れてはいけない。
今までの慣習に変化を起こそうと思うと、
普段は感じない非常に大きなパワーが必要になる。
だからこそ、いつも満ち足りた幸せな自分であり続けることは難しい。
そんなときにいつも私を支えてくれたのが、「粘る気持ち」。
私の目標の一つが「どんな状況におかれても意思疎通を諦めない」ことだったので、変化がおきるまで何とかしようと粘る気持ちこそが「自己変革」につながると感じた。
それが私を「こうでないといけない」と思わなくさせてくれた。
理想は多くても、現実はほんとうに思い通りにいかない。
外国では言葉も文化も異なるのでなおさら当たり前。
私はあらかじめ多忙なプランをたてて、それをムリヤリクリアしていくことに充実感を覚えるタイプなので、急に不可要素が入ると非常に動揺する。
最初は「こんな研修報告できない」と本気で悩んだ。
だが、どんなに理想を臨んでも、
現実問題として今こういう状況に自分がいるんだから、仕方がない。
そうではなくて、
今この瞬間に自分に何が出来るか、 どう変えていくことが出来るか
などを考えていけるようになったところは非常に「柔軟性」が身に付いたと思う。
自分の環境を変えることが出来るのは他でもない自分だけ。
自分が幸せでなければ、そういう環境を作ってしまっているのは自分のせい。
だから、やっぱり意思疎通を諦めず
最後まで粘ろう!
と私は持ち直した結果、異国の中で自力で、現地進学高校のチューター、現地NGOでの地域の小学生の語学教師、社会人向け語学教育企業アシスタントの合計3つの研修先を見つけ、卒論に向けての第二言語獲得過程の情操教育研究をすることにつながった。そしてそれによって自分自身の意識変革にもつながったのだ。
忘れられません。