【山の辺の道/奈良県】古代に迷い込む山の辺の道と神社の起源
先日、天気が良かったので奈良県の山辺の道を歩いてみた。
今日はありえないほど寒いのだが、その日はとても天気が良かったのだ。
初詣も行けなかったので、大神神社にお参りに。
この大きな絵馬が好きなのだが、今年は戌年。ここでは、神使が蛇だから巳年が一番賑わっているように思う。あと、撫で兎ちゃんがいるから卯年もか。兎ちゃんがいるのは、大神神社に祀られている神様が大国主命だから、因幡の素兎の話(大黒様と兎)にゆかりがあって置かれているものなのかもしれない。
年始なので、たくさんの人がお参りに来ていた。お神楽も少し見ることができて良かった。
摂社の狭井神社へも。狭井神社(さいじんじゃ)は病気平癒・身体健康の神様を祀る、「薬」に関係が深い神社だ。 狭井神社への参道の「くすり道」には色々な薬木・薬草が植えられている。拝殿の左後ろに、この神社の由来になっている神水の井戸・狭井があり、この薬水を飲めばいろいろな病気が治ると言われている。また、三輪山へ登拝口もあるので、登拝を終えた参拝客達が薬水を飲んでいることが多い。
くすりみち。
私の好きなシナモンっぽい木を発見。ただ、私のよく使うシナモンではなかった。
私はセイロンニッケイが欲しいよーーー。日本に生えてるはずがないけどーーー。
インド・スリランカで採取されるセイロンニッケイがいわゆるシナモンで、中国とか日本で採取されるシナニッケイというのはニッキのこと。
ちなみに桂皮として用いるトンキンニッケイっていうのもある(写真はこれかなあ?)。
全部クスノキ科なんだけど、用いられ方が違うのだ。
(たまにはスパイス・インストラクターらしい発言もしなければならないので。)
ちなみに、イランで大量に使われているスパイスであるシナモンとサフランなのだが、シナモンはほとんどイランでは取れない。インドから輸入している。では、なぜそんなシナモンがイランの国民的調味料になったのかというと、その昔インド人とペルシャ人の祖先は同じアーリア民族で一緒に暮らしていたことがあったからだ。イランという国名もペルシャ語で「アーリア人の国」という意味だ。
そんな関係で、イランにイスラム教が侵攻し、土着宗教のゾロアスター教の教徒はサーサーン朝のペルシア帝国滅亡後インドに逃げ延びたそうだ。そんな彼らはパールシー(ペルシアの人)と呼ばれている。パールシーの話をするととても長くなってしまうのだが、彼らはインドではマイノリティーで外見も違ったが、東インド会社設立を目論むイギリスから支援を受け、貿易業で財を成していく(イギリスがパールシーを利用し、彼らの力をつけることでインドの分割統治を狙ったものとも言われている)。というわけで現代のインド富裕層にはパールシーが多く、インドで有名な財閥のタタ・グループなどもそうである。
イランのスパイス料理一つに対して湧いた疑問から、世界の歴史関係を垣間見られるのが面白い。
さて、話はインドから奈良に戻る。(シルクロードだなあ)
狭井神社を後にし、本格的に山の辺の道へ分け入る。
うーーん。気持ちいいけど、一人はちょっと怖いかも。こういう歩きやすい道ばかりではなく、普通に民家のそばとか、道無き道っぽいところも歩くので、道が合っているのか不安になるのだ。(地図を持たずに歩いているというのもあるが)。GPSだって、こんな場所では必ずしも繋がらない。(というか、実家も含めて、少し前まではインターネットが繋がらないのが当たり前だった。山岳地帯でも多方面で常時繋がるようになって便利になった反面、生活において「常に繋がり続ける生活」から自分を切り離せなくもなり、複雑な気分である。)
こういった場所ではインターネットを切って、古の世界を感じながら歩くというのが心に優しいように思う。人間の五感や本能を思い出させてくれる。
メインロードではないが、脇道にも見るべき場所がいっぱい。しかし、デイサービスに預けている祖母の迎えの時間に間に合わせるためには寄り道をしている余裕はない。ひたすら歩く。
しばらく歩いて、奥伊勢と呼ばれる摂社、三輪山の麓にある檜原神社につく。
砂利が美しすぎて歩けない。
高台にあり、大和国中を一望する絶好の場所。神社から美しく見える大和三山や葛城山、二上山の形の美しいこと。夕日が沈むまでいたら、きっと幻想的だろうなあ。この神社は、天照大神の神霊を、崇神天皇が豊鍬入姫命に託して祭ったと言われる、元伊勢の伝承地である。小川さんの提唱する「太陽の道」のポイントとしても有名だ。
実際はどうあれ、これだけ美しく大和の山々が一望できることを考えれば、天照大神を祀るのにこの場所を選んだというのもよくわかるものだ。絶景だ。(山々の写真はうまく撮れなかったので割愛)
少し疲れたので、お茶屋で休憩。
おでんセットを食べるが、お腹いっぱいにならなかったので、パウンドケーキも追加注文する。よく食べるのが私の取り柄だ。
はじめて話すお店の人に「最近どうですか?」聞いて見ると(昔の茶店での諜報活動っぽく)、最近はオーストラリアから夕方に檜原神社にツアー客がたくさん来るとのこと。理由は不明らしいが、日本人ガイドではなく自前で来ているとのことだった。夕陽を見にきてるんじゃないか、とか話しながらおでんを食べ終わる。
それほど寒い日ではないが温まってきたので、後からきた知らない女性一人客にもおでんを勧めてみたが、お店の人から「本当に勧めたいのはおでんではなく、にゅうめんセットです。」と訂正されてしまった。そうか、地元民には珍しくはないが遠くから来た人にとってはにゅうめんは珍しいのか!迂闊だったーーとがっかりしていたら、その女性はおでんとにゅうめんセットのなんと両方を頼んでくれた。良い胃袋を持った良い人だなあ!!と嬉しくなった。
お腹も一杯になったところで、ゆっくり先を急ぐ。山を下っていると、ふと先日お会いしたアーティストさんの工房に出くわす。「あれ?見たことある人がご飯食べてる」と思ったら、その方でびっくり。
人生何があるかわからないものだ(笑)。
工房を見せていただいたのちに、寄り道ついでに山を登って相撲神社にもいって見る。
相撲発祥の地!!!!
木々の間に神社はある。
こんなのも置いてある。
すごくアピールされているなあ。
神社には鳥居はあるが、社殿は無い。神社境内の中央に土俵跡、
この相撲神社は穴師坐兵主神社の摂社であるが、穴師坐兵主神社に行くにはさらに山をぐんぐん登っていかなければならないため、断念。
本来の山の辺の道に戻り、山を降る。
山の端が美しい。
道で見つけた唐箕。年季入っています。
みかん。金柑。八朔。橘。そういったものがたくさん生えており、たくさん売られている。
こんな具合に。
ついに、古墳までやって来た。
地図でいうとこの辺りだ。景行天皇陵、崇神天皇陵、櫛山古墳、黒塚古墳。柳本古墳群である。
景行天皇陵。日本武尊(やまとたけるのみこと)のおとっちゃんと言われている。形が美しくて、もうスニーカーが靴擦れで痛いのに一周する。
何もなく見ると一瞬ふと浮島かと思うが、やはりお祀りされているのを見ると古墳であることを確信する。こういった感じで、奈良県で何かわからない盛り土があるときは大抵古墳であることが多い。(景行天皇陵はサイズも大きいし形も美しくて有名であるが、見ただけで本当にわからないものも多い。実際そういった古墳予備軍ちゃん達が山の辺の道の中でもたくさん見かけられる。)
宮内庁管轄。中に入れる古墳は本当に少数。
櫛墓古墳近辺で。誰もいなくて本当に水辺が美しい。
黒塚古墳。三角縁神獣鏡が33枚も出て来たすごい古墳だが、今は公園の一部になっている。ここは古墳の上を通り抜けできるようだ。時間がなかったので寄れなかったが、近くに資料館も併設されている。
まだまだ歩く。
どこを見ても、現代の忙しさからは程遠いので、昔のことに思いを馳せながら、歩いているうちにだんだん自分が異空間に迷い込んだような不思議な気分になって来る。あれ、私今何をしているんだっけ?なんでこんな時間にここにいるんだっけ?今は何時代だっけ?1時間てどれぐらいの長さだっけ?といった具合だ。
そうこうしているうちに、やっと柳本駅付近から長岳寺へ。
天理市トレイルセンター。ここで一休み。そうか、自転車で回るということもあるのか。基本的にどこでも歩きと電車の人だから気づかなかった。。。
地図としてはこんな感じ。
初めての長岳寺。
お池とのコントラストが美しい。お花の時期はとても混み合うそうだ。
お寺のしつらえがなんとも言えず心地よい。
地獄絵で有名なお寺でもあり、去年の地獄絵ワンダーランドでも取り上げられていた。絵図そのもののご開帳は秋だそうだ。それ以外にも重文である阿弥陀三尊像など貴重な仏様も置かれている。
特別展「地獄絵ワンダーランド」特集(展覧会は終了しました) | 京都新聞アート&イベント情報サイト[ことしるべ]
本当はこの後に、大和神社まで足を運びたかったのだが、祖母の迎えがあったために断念。
今回は、大神神社から長岳寺までの道のりとなった。
次回は、残り半分の長岳寺から石上神宮まで歩きたいと思う。
そう言えば、以前素敵な古墳女子に案内していただいた時にこのお菓子をお土産としてもらった。
これ、めちゃくちゃ美味しいのです。中華料理の点心の最後に出て来るゴマ饅頭みたいな感じが、そうめんバージョンで作られている。
外パリパリサクサクの中ふわふわ。ちょっと焼いて食べるとなお美味しい。
これ美味しいから、またチャンスがあったら買いたいなあ。