【BOOK】『ゑゐり庵奇譚』に見る、自宅待機と「一緒に●●」の心理
ミステリやSFって、本当によく未来をみているなあ、と感心することがある。
例えば、R・A・ラファティの『泥棒熊の惑星』にある短編、
「 The World as Will and Wallpaper(意思と壁紙としての世界)」
これはコロナ前の未来社会を予測するのに、秀逸だ。
詳しいことは言わないが、「どの都市にいっても壁紙のように同じ世界の中で若さと新しさと機能性と画一性を追い求めながら、古く懐かしいものを切り捨てていった結果、待っている未来」に叙情を感じるのは間違いない。ただ、一度そう言った郷愁にとらわれた人間は全て無感情に処理される(処理のされ方を口では言いにくいので読むのをオススメする)。ちなみにタイトルはもちろん、ショーペンハウアーの「意思と表象としての世界」のもじり。
タイトルの「泥棒熊の惑星」も秀逸だし、ほかにある「900人のお祖母さん」も面白いのでおすすめだ。
だが、言いたかったのはここからである。
最近、星野源さんがやったような、呼びかけで何か行動を共にすることや、「●●チャレンジ」で同じことをする行為。これは一体どう言った心理なのだろうかと思ったことはないだろうか。
その答えの片鱗がもしかしたらみつかるかもしれないのが、梶尾真治のSF名作である『ゑゐり庵奇譚』に収められた「異空の三本〆」というショートストーリーである。
これはね、もうみんな時間があるならとにかく読んだらいいよっていうSF名作。おもしろ楽しい。宇宙港の片隅に地球人の末裔であるアピ・北川の経営するソバ屋<ゑゐり庵>があり、有名な「銀河食べ歩きガイド」にも掲載されるほどの評判の味のソバを食べに様々な境遇の珍客がやってくる。その珍客の一人であるテクトリス人のエピソードが「異空の三本〆」である。
文明が極度にまで発達したために、労働と外出の必要性がなくなり、生まれてから死ぬまで閉鎖された自分の生活ルームで一人で暮らす、テクトリス星の住民たち。娯楽もメディアも生活物資もあり、情報もありとあらゆる無限の中から一つを選び堪能するので、それぞれが自分の趣味や好みだけの情報しか取ろうとしないので、外に出ても周囲の人々とコミュニケーションが全く成立しない。そのすれ違いが怖いし疲れるので、人々は安心できる自分だけの世界の部屋からますます出られなくなっていった。そんなある日、テクトリス政府は全員にとある同じ情報を流すようになった。それは、「●月▲日の×時きっかりに、テクトリス人は家の外に出て、「ハアッ」と声が上がったら、拍子をつけて手を叩かねばならない。そのリズムは以下のようである。タタタン・タタタン・タタタン・タン。ただしこの拍子は七回連続して叩く必要がある。最初は指一本から、徐々に指定の指を増やしていき、最後は全ての指で叩く。テクトリスの運命は、あなた方一人一人の指にかかっているのだ。」
最初は首をひねった、この施策。だが、徐々に彼らはこの謎の指令が持つ真の意味を見出していくーーーーー。
まあ、Zoomの概念がないのでテレビ通信といった発想はないのだが、読んでいて「なるほどなあ」と思わされる結末であった。
離れた場所から一つのことをやる、協業する意味。
一度読んでみてはいかがだろうか。