2017-12-13

今年のインフルはワクチンが足りないらしいが、なぜ打ちたいのか?

数年前、こういうやりとりがあった。

友人「今年もインフルの対策でワクチン打ってもらったほうがいいんじゃないかしら」

私「うん、打たなくてもいいと思うけどそうしたいなら。ただし、私は今まで打ってないし、今年も打ちたくないよ」

友人「私がかかって家族に移ったら迷惑やんか!」

私「ワクチン打ったって、毎年違うんやし、かかる時はかかるわ」

友人「そんなことはない! 会社かって、予防注射打っててかかったら大目に見てもらえるけど、打ってなくてかかったら怒られるんやで」

私「周りがみんなきちんと予防注射してるんなら、何も心配することあれへんやん?」

友人「そんなん言ったって、ワクチン打ってても誰か打ってへん人がいたら万一の事態にかかるかもしれへんやん!」

私「それ、矛盾してへん? 」

友人「・・・・・・・」

そして今年実家に戻って、母から祖父母のインフルワクチンの相談を受けた。

いや、高齢者ってあまり抗体つきにくいから無理に打たなくても・・・と思っているし、そもそも私はワクチンに対して懐疑的な部分があるのであまり気が進まないが(今まで10年以上予防注射を打ってないけどインフルにかかったことがないというのもある)、とりあえず聞いてみるだけ聞いてみようと思って病院に電話した。

市立病院「予定数終了しました。ワクチンが入ってこないのでしばらくいつ再開できるかわかりません。」
私立病院A「ワクチンが入ってこないので、いつ打てるかわかりません。」
市立病院B「ワクチンがないので・・・・・」

そうか、無いのか。
ということで、どこでも無いのか調べて見た。

今年のインフルエンザワクチン 不足してる?2回接種は必要?医師に聞きました(市川衛) – Yahoo!ニュース

「足りるの? インフルエンザワクチン」(くらし☆解説)

ふむ、確かに今年のは準備が出遅れて生産が間に合ってないようだ。今年に合ったインフルウイルスが増やしづらい(大量生産しづらい)のも要因らしい。大量生産ってなんやねん(笑)! 思わず、インフルがうじゃうじゃいる部屋を思い浮かべてしまった。まあ、抗体作るためには必要なんだろうけど。

ほら、よくいうじゃありませんか。
物事の前進には多少の「悪」が必要なんだって。 
(いつも思うけど、これ何にでも当てはまる名言だなあ)

そして、ワクチンが増えたとしても以下のように均等な配布も課題の一つだ。しかし、最終的には需要を供給が上回るという見込みもあるので焦らずとも良い、という記載もある。

インフルエンザワクチン不足の解消求め 医師らが緊急要望 | NHKニュース

これらを踏まえて、人間の体って薬でないと治らへんの?という疑問は割となんども考えている。
考えているきっかけとなったのは、スペインに旅行をした時の添乗員兼ガイドさんが「物事の表と裏の見方」があることを教えてくれたから。
その人の考えそのものがどうこうというよりも(それは結局その人の見方なので)、今まで考えもしなかった側面の考え方を知ることで、そもそもそういう両面、多面的な世界があることを知り、自分で有益な情報を探しに行って判断しなければならないこと(情報格差が生活格差になる)を痛感したから。 そしてそんな有益な情報はそんじょそこらに無料で、日本語に翻訳されてご丁寧に散らばってはいないということだ。そこで、色々探求して見た結果、色々なことを知った。

それが私が介護の理由の他に、東京の会社員を辞めて奈良に戻った理由の一つでもある。
スパイスや薬膳などの自然療法、食生活のあり方、植物栽培に興味を持った理由でもある。

医療については、かなり闇の部分も実際多いと思われる。
そのガイドさんは、以下に紹介する書籍の船瀬さんと内海さんの愛読者のようで、さまざなま書籍を紹介してくれて、私も実際その一部を読んで、さらにそこからスペインの城下町から発達したユダヤ人の金貸業の歴史や都市配置を旅をしながら学び、帰国後に「金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った」や「エンデの遺言」を読むことにつながった。全部を信用しているわけではない(あくまでも見方を持つことが大事)が、世界の動きや、自分でこれからの生活を考える材料としては非常に示唆が多いものであった。スペインが最初にアメリカ大陸を発見して、経済の構造を変革させていったとともに、その下支えとなる金融が賤業とされてユダヤ人に委ねられていたものが、なんと今日の経済の基盤になっているという、考えてみれば当たり前で、考えてみればそんなに浅かったの、という話。

金融の歴史は金融の歴史だけで本当に学ぶべきことが多いし、現代の歪みにつながっていることもわかるが、よく考えたらそういう話を今はしているのではなくて、そこから医療の話をしていたんだった。まあ、医療は儲かるから、健康な人が増えたら困るし、できるだけ薬も売りたいし、入院は長いほうがいい。医療機関や薬と繋がる人生設計を立てるために、病院で産まなきゃいけないし、手帳はつけなきゃいけないし、予防接種は受けなきゃいけないし、健康診断は受けなきゃいけないし、健康サプリは飲まなきゃだし、血圧は計らなきゃいけないし、人間ドックは受けなきゃだし、がん保険に入らなきゃだし、ガン治療しなきゃいけないし、抗がん剤ができるだけ打たなきゃいけないし、介護施設に入らなきゃいけないし、寝たきりになってもできるだけ死期を伸ばすのが大事。一時的な診察も、その場しのぎの治療はするが、将来にわたって2度と受診の必要がないような健康法はやりたくない。それは産業として考えたら、ごく自然だし、マーケティング的にもそうなるだろうと思う。でも、それを自覚して受診している人がどれだけいるだろうか。医者や病院が間違いないんて考えをしているとしたら、それこそ間違いかもしれない。

くどいようだが、私はあくまでも「物の見方」として知っておくことが有益だと思っている。

だから「絶対薬や医療はダメ!」とは全く思わないし、逆に医療や薬だけに頼りたいとも思わない。自分で調べてやれることは自分でやって、頼るべき時は頼ればいいんじゃない? 無菌で完全健康な不老長寿になりたいわけじゃないし。言ったでしょ、物事の前進には多少の悪も必要だって。でないとあれもダメ、これもダメ、って言っていけば現代社会を生きていけないよ? そんなユートピアは今となっては地球上どこにもなく、こだわればこだわるほど終わりはなく自分を苦しめていく一方なのだ。有機栽培って言ったって土壌が汚染されてないとも限らないし、種が遺伝子組み換えでないとも言い切れない、空気だって排気ガスにさらされているかもしれないし、肥料が動物性で死骸とか扱っているかもしれない。 要は、自分がどこまで割り切れるかの見極め場所が違うだけだと思う。

ただし、知っているか知らないかの違いは大きい。選択肢ができるし、クリティカルな問題についてはよくよく吟味して判断が可能だ。そういう意味で、物事の反対側を明るみに出してくれる、以下の本は選択肢を広げてくれて面白い。最終的に信じるかどうかは個人の自由だ。読んでおいて損はないだろう。 

ちなみに、現代ではコストをかけなければ間違いなくインスタントにレディーメイドで手に入るものは、身体に悪い。しょうがないじゃん、賞味期限が短いと売れないし、かと言って過剰に殺菌しておかなきゃ怒られて営業停止になるんだもん。外食産業だって同じだ。

あああ。また脱線した。

それぐらい、現代社会の当たり前には当たり前でないことがたくさん潜んでいるということで、そう言ったことにも考えを巡らせられるかどうかで面倒くささは間違いなく増えるが、巷に溢れている情報の見方が間違いなく変わるはずだ。

書いてある内容はぶっちゃけなんでもいい。素っ頓狂であればあるほどいい。

それは考える材料と、脳に余白を与えてくれる。書いてある内容に疑問があるなら自分で調べればいいだけのことだ。

とはいえ、これらの本は本当に面白かったので、私も「一部」参考にしたいと思う。
そして、気長にインフルとワクチンの行方がどうなるか年明けあたりに様子を見たいと思う。

世の中に、「こうでないといけない」ことはないのだ。

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