2018-05-12

言語は話者の思考を逸脱できない。

私は言葉は文化だと考えてる。言語は話者の思考から逸脱出来ないから、国によって関心も異なり、語彙が豊富な単語にもバラツキがあるんだと思ってた。例えば日本だと五月雨とか時雨とか小雨とか「雨」に対する意識が細やかなので語彙が豊富だとか。

言葉の可能性を考える、対談のイベント時の感想。FBの「過去のこの日」で出てきたが今から読むと面白い。

話題に出たものだと、日本語では同じ「走る」でも英語だと、ラン(常歩)とかトロット(駆歩)とかギャロップ(襲歩)とかバリエーションがあるだとか。

語彙は、何に細やかな注意が向くかで広がって行くので結局その国の文化的思考の反映なんじゃないかなと思われる。

が、

そしたら、意外だったのはそういう話には行かず、母語の思考や運用が右脳か左脳かというロジカルな話になったこと。蝉の声、なんかも今までの私の考え方だと日本の文化的なものを受けて声と受け止めてるんだと思ってたけど、日本人は蝉を音ではなく声として左脳で受け止めてるから声として気になると。一方、西洋人は「音」として右脳で捉えているからうるさくても思考が削がれない。

日本の雨の語彙もバリエーションがあるのは、鶏と卵の関係じゃないが、左脳で意味があるものとして受け止める環境だったから、日本語だと「声」のように意味のあるものに聴こえ、語彙が広がったんじゃないか。

あと、言霊の話題も面白くて、言語は思考を逸脱出来ないって話のつながりで、私の好きな安倍晴明の「言葉でものを縛る=存在を成立させることであるゆえ、名前も言葉も全て呪である。」というくだりが、今日の話の「言語は発話者のラベルである」という話と似てた。なんかこの辺の話をしだすと英語じゃなくて密教の話になってくるけど、言葉で存在を成立させるとするなら、空海の「色即是空、空即是色」の話にもつながるんじゃないかと。

五蘊の一つである「色」を存在ととらえるなら「空」は全ての本質というか、悠久の無というか、「色」と「空」両者があって初めて両者が成立する。だから定義された言葉も、声に出して使われないと成立しないし、その存在として育たない。それが言霊というものだと。

さらに、清明の破魔のシーンで、妖物に本名を名乗らないのは、相手に存在を言霊で掌握される(呪を受ける対象となる)のを避けるためだと思う。

言葉を空気に発することにより生まれる力ってなんか演劇にも通ずるものがある。空気に発する言葉を舞台でみんなが共有する。

ちなみに西洋占星術の話題もあったのだが、やはりある事象に対して、どう言葉で説明して行くかは、やはり「呪」に通ずる気がする。占い師によって説明の言葉も解釈も異なるから、その言葉に対して当たる、当たらないのバラつきが出てくる。感度が高いとそれだけ選んだ言葉の持つ効力も高い。

だんだん際限なくマニアックな話題になってきて読む人も疲れてきたはずだからもうやめようと思うけど笑、言葉の持つ力ってやっぱりすごい。

最後に文学賞を取る人の文体について。言葉の余計な装飾が最大限削られて厳選されているから、ことばそのものはシンプルでわかりやすくても切れ味が鋭くて感覚にどんどん入ってくる訴求力の高い内容になってるのかも、という話に納得ー。ただ、それもそもそも言葉の引き出しが多いから逆に意図に最も忠実な語彙や表現に絞れるんだろうなあ。

、、、あれ?

対談内容は、もともと英語の学習方法だったんだけど笑。

まーあれだ、自分で発音することでその言葉を成立させ、五感で消化すると考えると、やはり音読は重要ってことです。だから発音できる物しか聴き取れないと。

無理やりだな笑。

とにかくこのネタなら、朝までがっつり話せそう。

次は言語脳科学の話がいいな。

あと、対談中に思わず発言した「サムライと英語」は殿堂入りで面白い本です笑。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で
関連記事
error: Content is protected !!