なぜ神戸にドイツパン屋さんが多いのか〜神戸ワールド巡礼&食材堪能ツアーその2〜
パート2、もうきました!!!
こんなにすぐ書くなら、別に記事を分けなくてもよかったんだけど、多分今書かないと一生書かないし、まだ東南アジアの記事のことも書きたいし。
前回を見逃した方はこちらからどうぞ!
今回は美しかった神戸シナゴーグにちなんで、神戸とユダヤの人々の関係について書きます。
神戸には開港後からユダヤ人が渡来し、20世紀初頭にはコミュニティーがあったとされる。1912年にシナゴーグ(ユダヤ教会堂)が設立され、(関東大震災での)横浜や(ロシア交易の衰退での)長崎などからの移住も進んだ。ナチスからの迫害とロシア革命での迫害などにより、様々な境遇の人々が亡命していたため、国籍はバラバラである。日本のシナゴーグは神戸の他には広尾にあるそうだ。
ユダヤ人は大きく2種類に分かれる。セファルディムとアシュケナジムである。セファルディム(Sephardim)ユダヤ人は、主にスペイン・ポルトガルまたはトルコなどの南欧諸国に15世紀前後に定住した者を指す言葉で、主にイスラエルという国家に定住している人々のことらしい。一方、世界に散らばる(ディアスポラと呼ばれる)ユダヤ人はアシュケナジム。アシュケナジム(Ashkenazim)とは、ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々、およびその子孫を指すようだ。
神戸とアドルフ
神戸とユダヤとドイツの関係を少しばかり垣間見るには、この漫画がいいかもしれない。
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」だ。
主人公は第2次世界大戦時下に、神戸に住む2人のアドルフという名の少年たち。
小さい頃は友人だったにも関わらず、大人になって殺しあうようになってしまったドイツ人外交官の息子のアドルフ・カウフマンとユダヤ人のドイツパン屋の息子アドルフ・カミル。そしてその時代のドイツを牽引したアドルフ・ヒットラー。この三人のアドルフをめぐる物語である。母が日本人、父がドイツ人でで神戸で幼少時代を過ごしたカウフマンはその後ドイツでナチスの英才教育を受ける。その中で、ある日訓練の一環としてユダヤ人活動家として拘束されたカミルの父親を銃殺させられる。その後カウフマンは、ヒットラーにも可愛がられ、徐々に青年将校として成長してユダヤ人を粛清することにのめり込んでいくが、その中で一人のユダヤ人の女の子エリザが好きになり、ナチスの目をかいくぐってカミルのいる神戸に逃がす。さらに、ひょんなことからヒットラー自身がユダヤ人であることと、またそのことを記した文書が誰かの手に渡っているという衝撃的な事実を知ってしまう。その後もいろいろゾルゲ事件や第二次世界大戦での敗戦、ヒットラーの死、イスラエルの建国とパレスチナのゲリラ戦などに展開していく。親友だった幼い二人のアドルフは、最後はお互いにお互いを殺してしまう。一貫してユダヤ人アイデンティティを貫いたカミルよりも、ナチスの正義で自身のアイデンティティを保っていたカウフマンが壊れていく様子がどうにも切ない。自身が生粋のアーリア人で無いことに葛藤し、肉親や友人から突き放されるなど様々な犠牲を払っても信じて貫いてきたナチスの正義が崩れ去り、「時代に翻弄されてきた自分の人生は、まるで道化のようだった」とやけっぱちになる最後が胸に迫る。
いかん、10年前に読んでいてストーリーがうろ覚えだからもう一度読み返さないと。
ともかく、そのときに幼心に神戸とドイツとユダヤは特別なつながりがあるように思えたのだ。
今でも神戸にはたくさんのパン屋さんがあるが、その中でもドイツ風のパンが多いのには理由がある。彼らはドイツからナチスの迫害やロシア革命から逃れてきた人々だからだ。もともとドイツに住んでいれば、自然とドイツパンも作ることができる。クリスマスにはシュトーレンだって出る。ケーニヒスクローネも神戸が本店である。ベーグルはもともとユダヤのパン文化だったっけ。こういった場所に、日本唯一のシナゴーグがあることはごく自然なような気がする。
リトアニア領事、杉原千畝の命のビザとユダヤ人
このツアーをする上であらためて調べたのが杉原千畝と小辻節三のことだった。友人がイスラエルにいったときに「杉原千畝通り」というものがあることを教えてくれた。また岐阜県の杉原千畝記念館には、イスラエル観光客が大勢訪れるそうだ。それほどイスラエルの人々から大事にされている杉原は、リトアニアの日本領事館領事代理という立場を用いて、ナチス・ドイツの目を盗み、本国日本の反対を押し切り、リトアニアに逃れてきた約6000人のユダヤ人に日本通過ビザを発行して彼らの命を救った人物である。そして、そのビザでユダヤの人々は神戸に逃れてきたものの、一時滞在ビザであるがために、なかなか次の目的地の上海(当時査証がなく入国できた数少ない場所)にいく準備ができなかったり、船がなかなか決まらなかったりして、ビザが切れそう!!となって困っていたときに、ユダヤ人のために奔走して神戸でビザの延長を実現したのが小辻節三だったそうだ。彼はユダヤが好きすぎて、彼らのために奔走したために逆に日本で拷問をうけて自らも上海に逃れることになったが、その際も上海でユダヤ人が匿ってくれたり、亡くなったときには特別にイスラエルに埋葬することを許可されるなど、稀有な存在だったようだ。
今回のツアーでは、ものすごくラッキなーなことにたまたまちょっぴりだけシナゴーグの内観を見させていただいた。シンプルなしつらえの中にも美しさをたたえた調度品の様子が幻想的であった。
それにしても、神戸を舞台に世界の歴史がめまぐるしく関わっていく様子をありありと感じるので、それぞれにそれぞれの紆余曲折があって多国籍多文化の人々が集う神戸ができていることを思うと、感慨深いし、昨今のわざわざ「もっと外国人向けに国際化しなきゃ」って言うのもちょっと違和感がある。(まあ、それは移民と難民による文化のるつぼ化とイノベーションの時代を真っ先に飛鳥・奈良時代で過ごしてきた奈良に対して「もっと国際化しなきゃ!オープンマインドにならなきゃ!!」って言われたときの違和感と似ているのかもしれない。
パート3に続きますよ!!
P.S ところで私とってもここのイスラエル料理店に行きたいんですけど!!!