2019-01-20

不自由だからこそつらさがわかり、自由に希望を感じる。

先日、介護認定継続調査でケアマネさんが家に来てくれた。

タイプの違う重い認知症の高齢の祖父母、同じく高齢認知症の愛犬、2人の介護と仕事を両方しながら家を支えてきた母。そして、可愛がっていた愛猫の失踪。あちこち傷んできた実家の古民家の維持問題や修繕費用(リノベーション費用はまた別)、他にも色々旧い家にありがちな困ったことなど。まだまだ働き盛りだけど介護と家のことで仕事や外出もままならない(まあ力不足なだけですが・・)。大変なことが多くなって、最近は逆に動じなくなってきたと思う。けれど、やっぱり我が身の生き方だけを考えていればいいわけではないので、悩ましい。

何が一番困るのかというと、24時間365日、常にいろいろな場所に移動したり出会ったり学んだりしていたい性格の人間であるのに、シフトが組めないと家から自由に動けないのと、動けたとしても地方なのでイベントや勉強会などの場所が遠くてなかなか参加できないということだ。国内外のローカルガイドの依頼は、その意味では良い刺激になるし、私の研鑽にも収入にもなってすごくありがたい。2月のようなイベント巡業なんて、いろんな方と出会えて、発見があって、参加ボタンやメッセージも本当に嬉しいし励まされて、好きなテーマの話で、もう楽しくて楽しくて本当に夢のようである。ああ楽しみ!!

忙しいながら収入は安定して快適でいろいろなチャレンジにも恵まれた東京での会社員をやめてから一年半、自身の選択に後悔はしていないが、その後本当にいろいろなことに頭をぶつけている。地域や家族の人間関係も仕事も生活も思うように慣れなかったり、転職先も介護の人手が必要になって辞めることになったり、上手くいかないことも色々あって、家族なのに気を遣ったりして、日々悩んで吐きそうになったり、いつまで続くかわからないこの生活では自己実現の時間は一生来ないと絶望的になって諦めたりもしていた。

そんな中、たまの旅と家の住み開きの夢でギリギリ未来に気持ちをつなぎとめている感じだったように思う。だから私にとって、世界と自分の接点を増やし、様々な暮らしや文化の人々と仲良くなること、食を学び楽しむこと、そして思索し旅に出ることは、何にも代えがたい生きがいであり、どうにもならないことばかりで動けず苦しいときの心躍る現実逃避であり、前向きな元気と勇気を与えてくれる自由と希望のエネルギーなのだ。だからこそ、この旅文化の活動と、生活の糧の仕事と、古民家の住み開きを統合していく暮らしを実現したい。今の社会体制や労働環境の中では難しいことの方が多いが、日々諦めそうになりながら周りの人の温かさに励まされ、日々模索している(私が生きていけないと、移住してきたりUターンを考える人たち皆がやはり生きていけないと敬遠してしまう)。

奈良という場所は、自己や日本のルーツを振り返る上で面白く、中国や朝鮮半島に限らずユーラシア大陸文化との文化混交と試行錯誤の歴史がそのまま残っている場所だ。その場にいながら海外旅行をしたり、タイムマシンで過去に戻ったりしている気分になることが何度もある。そういう良さがあっても、やはり仕事を考えると若い人がなかなか戻りにくいと思うし、起業をする場合でも必ずしもすぐその才覚が身につくわけでもない。

また、キャリアや求人、日常生活の中で、介護での離職期間があることが社会的にブランクやハンデ、マイナスに思われたり扱われることも多いが、個人的には非常に心外だと思っている。これからは若い世代の両立が当たり前の時代で、たまたまタイミングが早いか遅いかというだけのことで、むしろ多様な働き方で仕事と両立しようとするのは時代を先取りしているし、サービスを考える上で介護経験者だからこそ配慮出来ることも多い。物知り顔で色々とんちんかんな事を並べたり、「もっとしっかり寄り添え」と献身を諭してくる人に会えば、微笑みながらも心の中で「自分でやって物を言え」と思っていた。「寄り添う」という言葉にも違和感がある。だいたい、普段から他人の感覚だから「寄り添」わねばらないのである。そもそも身内であれば無意識にお互いを意識しながら日々過ごしてきているもの。生を全うする者と、これからを生きる者が、お互いがお互いのペースを尊重しながら共存するしかない中で、上から目線の一方的なおせっかいは、本人に対しても失礼ではないかと感じるのだ。(もちろんこれは人によって様々な見解があると思うので、あくまでも一介護者の今の意見として受け流しておいてほしい。)

 でも、その肌感覚や違和感は、多分経験しないとわからないものだとも思う。実際、経験者の発言と日常の情報の見聞きだけの人の発言は明らかに違う。介護本は知識の範囲を超えず、それはそれで必要なことではあるが、日々の実践ではほとんど役には立たない。身体と時間で理解して、日々時間とともに老いていく、心が家族や現世から離れていく様子、それに対する本人の混乱や現世への執着が高まりやがて薄れていく様子を見守りながらも、一方で私達はそれに引きずられずに今を生きる自分たちのことも考えていかなければならない。(たまに魂が現世に戻ってくると、すごく幸せな気分になることもある)。物事や生きること、世間の高齢者の自己や介護での事件のニュースに対しても全く見方が変わる。経験者なので、裏側の事情や気持ちを推し量る事ができる。動じなくなる、という変化はそう言うことなんだと思う。傷ついたり、大変さは増えても、心と身体が大切なことを悟っている。

これは介護に限らずともそうなんだろうなと思う。だから、私はやれるだけたくさんのことを自分で経験しておきたいし、いろんな場所や文化を自分の肌で感じたい。

それでも、きっと一生すべてが「分かる」ことはないのだが、わかりえないことをわかっているだけで、これから出会う世界中の知らない人にも、自分にも、いつもより少し優しくなれるような気がするのだ。

旅や文化を知ること、自分の文化のルーツを知ることそのものの楽しさはもちろんであるが、同じようなことでもし悩んでいる人がいたら、このブログの中の記事で一つでも元気になったり、ワクワクする気持ちになってくれたら、それほど嬉しいことはないなといつも思っている。

いつも読んでくださってありがとう。
今年は射手座は12年に一度のラッキーイヤーだそうで、さらに大神神社でも大吉が出たので一意専心に突き進まないと!
(猪突猛進だけに)

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