2023-02-06

なぜ神武天皇は大和に遷都したのか<その2>〜精錬と神話の謎を追う〜

5年前にこのような記事を書いたことを覚えているだろうか。

なぜ神武天皇は大和に遷都したのか〜ひいおじいちゃんの同人誌に見る古代の謎〜

そう、この壮大な内容の記事から5年が経った今、その続きを調べるきっかけとなった出来ことがあった。

一つはこの群馬県富岡に行ったときに描いた知図だ。

シルクロードと渡来文化(多胡碑と羊大夫)を調べに行った群馬県富岡市から、予想外に下仁田の地名の謎を考え出す中で、中央構造線と辰砂(水銀朱)の関係を知ってしまった。そう、下仁田の上部には「丹生」という地名があり、水銀が採取されていた。そして「丹生」の田の下部に位置する土地だから「下丹生田」、「下仁田」となったと推察される、というのが気づきだった。
また、地勢においても中央構造線と静岡糸魚川構造線の断層の歪みでできた諏訪湖が位置する諏訪が近い。元々、諏訪の岡谷と、群馬の富岡は製糸場(絹)の関わりが深いことは知っていたが、中央構造線でも繋がっていたとは!(ちなみに富岡製糸場は様々な環境要素と土、鉱物、水資源などの条件を加味して富岡を選んでいるため、やはり良い土地なのであろう)。

そうすると、やはり渡来と辰砂と中央構造線は深い関係にあるのか。
そういえば、前に調べなかったが、地元の大和水銀鉱山の向かい側に三方を山で囲まれた「入谷」という地名があったな。これは関東のように「いりや」とは読まず、「にゅうだに」と読む。そう、「丹生谷」である。Google MAPで見てみると、ちゃんと「丹生神社」がある。
こうなったら、ということで入谷を含めて、再度、宇陀水分神社と神武東征伝説と合わせて辰砂ゆかりの地を探求してみることとした。

丹生神社 (奈良県宇陀市菟田野入谷)

なお、くどいようだが、ご先祖が先に同じフィールドワークをやってそれぞれ調査内容を同人誌にまとめており、内容としては重複するかもしれないが古字を読む気がしないため、私は私のやり方でやらせてもらうこととする。(くずし字を読む気になったら後で答え合わせができて良いではないか)

  

とりあえず、細かい説明は省くので、まずこの松田先生の東洋学報のPDFファイルを読んでほしい。少し長いがここが肝要なので面倒がってはいけない。

東洋学報「宇陀水銀をめぐる古代史上の諸問題」松田寿男
(PDFのため、携帯だとうまくダウンロードできない可能性があります。こちらからダウンロードもできます。)

いかがだったであろうか。
もっと詳しく読みたい方は以下を読んでほしい。フィールドワークの詳細なスケッチなどと共に、各地の辰砂について言及がある。

気になるのは、群馬の丹生にも「風穴」があり、ここ菟田野の丹生にも「風穴」があったということだ。精錬に使われていたのだろうか。また、辰砂採掘地と修験道や真言宗(空海)の接点もあるため、追々見ていきたい。今回はとりあえず気になることを全部出してしまいたい。

まずは神話関係の整理からしたいと思う。もう一度よく丹生神社の周りを見てほしい。MAPで調べてみると右端の入谷の丹生神社の隣に変な名前の神社がある。

神御子美牟須比命神社。三輪山麓に鎭座する大神神社の祭神大物主神の分霊を遷して奉祀。これで、「みわのみこみむすひめじんじゃ」と読む。地域名は「大神(おおがみ)」とよむが、これを見てピンと来た方は神社通だ。そう、奈良県桜井市の「大神神社(おおみわじんじゃ)」の「大神」だ。祭神の名前も、「神」で「みわ」と読み、大神神社の奥宮ともされている。大神神社の鎮花祭の百合根、率川神社の三枝祭のササユリも、この神社から供えられる。近年社殿が改修され朱色が美しい。詳しくは以下の説明を読んでほしい。

神御子美牟須比命神社 (奈良県宇陀市菟田野大神)

社紋は、左三つ巴が五七の菊文にかぶっている珍しい模様だ。左三つ巴に桐紋は鹿島神宮でも見られるが、あれは五七じゃなくて五三だったように思う。三つ巴は水に関係する神社でよくみるが、ちょっと調べる価値はありそうなのでこれは後日に回したい。(わかる方は教えてください)

さて、脱線したが本題に戻る。この場所は桜井市三輪の大神神社(祭神:大物主命)とのゆかりが大きいということだ。ちなみに私は小さい頃は大神神社のそばで暮らしていた。どちらも縁がある場所だ。さらに見てみると、宗像(ムナカタ)神社や、九頭神社、素盞嗚(スサノオ)神社も近くにある。これで大体役者は揃ったのではないだろうか。

まず、大神神社の祭神である「大物主命」は「大国主命」と同神と見られている。そして「大物主命」の妻が「勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)」であり、彼女を見そめた大物主命が丹塗の矢になって女陰をついた時に出来た娘が、かの神武天皇の妻であり、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、又の名を「神御子美牟須比命」というのだそうだ。

ちょ、まてよ!!!

極力別件として意識しないようにしていたのに、出てきちゃったよ、出雲名物「たたら」。製鉄も絡んでくるのかよ。これ以上私のフィールドワークをややこしくしないでくれよ、と思いながらも、渡来と神話を追ってる時点で頭の片隅でいつかこうなることを想定していたような気がする。そう、あの漫画を読んでしまってからだ。

この漫画は、友達が「この民俗学者の教授、離れた土地を歩いて各地の伝承を繋げて考察して歴史を紐解く感じが、あんたに似てる!!」と教えてくれた歴史SF漫画だ。この一巻では出雲とたたら製鉄と白鳥の飛来地との関係性を追っている。その時に、白鳥の飛来地と鉄鉱床がほぼ近い傾向にある話が出ており、その理由が「白鳥は地層の磁場を感じ取って飛来しているため」という記載があったのだ。

これを読んだ私はSFながらバカに出来なくて、同じような話を別の本で読んだ事を思い出したのだ。

この本に「ムハンマドが目撃したもの」というコラムがある。そこにはこのような記述があったのだ。

20世紀初頭、イギリスのある考古学者が、古今東西、世界中の古代遺跡、聖地が一直線上に並んで存在していることに気づきました(レイライン)。しかし、なぜ「直線上に存在する」のかわからない。しばらくして、それを見た別の地質学者が「このレイラインは活断層のラインと一致する」ことに気づきます。ではなぜ活断層の上に、聖地が並ぶのか?最後に、脳科学の分野から「人間の脳(側頭葉)は、電磁場の影響で幻聴・幻覚を見てしまうことがある」という研究結果が知られるようになるに及び、この考古学・地質学・脳科学の研究が結びつき、一つの事実が導き出されました。

つまり、「活断層は「圧電効果」によって強い電磁場を発生させることがある」ので、「側頭葉の異常で電磁場の影響を受けやすい人が活断層に近づくと、幻覚・幻聴となって発現」し、そこが「聖地や心霊スポットとして後世に語り継がれ」ていくということです。

ちなみにイスラム教の預言者ムハンマドが天啓のためにこもった洞窟というのも、ヒラー山の麓で見事に活断層の真上でした。

どうだろう。この電磁場は、先ほどの話の白鳥にも言えることではないだろうか。ただ、話はそう簡単ではなく、鉄鉱床と水銀床は綺麗に重ならない。水銀は明確に中央構造線上に存在しているが、鉄に関しては、特に砂鉄はそれこそ出雲などの日本海側に近い場所で採掘されている(鉄の産地は上記の宗像教授の漫画を見れば大体わかる)。古代における初期の製鉄では、山陰山陽中部で原料として鉄鉱石と砂鉄が併用されていたのに対し、古代末から中世に山陰と山陽北部に生産地域が移ってからは砂鉄のみが用いられていることも特徴の一つだ。いずれにせよ、中央構造線との直接的なつながりは薄い。なので、これも頭の中では「たたら」と「タタール」の響きが似ているから、ヒッタイトの後に製鉄を引き継いだのはタタール人で、彼らが日本に持ってきたのではないか、とか、自分の行った国に絡めてすぐあれこれ余計な事を考えたがるから話が前に進まない。

閑話休題。

水銀朱と神社と神武の話に戻る。ちなみに近くの「九頭神社」の祭神は建御名方神。大国主命の次男であり、鹿島・香取の神々に敗れて諏訪に落ち着いた諏訪大社の神様でもある。なんなんだ、ここは。関係者ばっかり出てきて、ファミリーヒストリー(?)か。そして、神御子美牟須比命神社の社紋は、、ってもうさっき話題に出したよ!長すぎだよ、この話。いつまで続けるんだよ!

とまあ、多々あるが、とにかく奈良には四方に水分神社があって、宇陀はその東を司る神社であり、かつては水銀の神を祀っていただろうのを、後世に水銀を採取しなくなってから水の神様(天水分神、国水分神、早秋津彦命(男神))と改めたと考えやすい。ちなみに、宇陀の水分神は高見山頂の磐座(いわくら)に天降り、そこから芳野川に沿って菟田野や榛原に移ってきたと言われている。磐座といえば、物部氏。出雲といえば物部氏。祭祀と武器といえば物部氏。群馬の上州一ノ宮である「貫前神社」も、祭神は「経津主神」(ふつぬしのかみ)」と物部氏の氏神で、物部姓「磯部」が創建したと言われており、さらに高崎市内の矢中遺跡群からは鋳銅製「物部私印」が出土している。丹生と物部の関係も深いのだ。

さらに気になるのが、蛇神だ。大神神社は蛇とゆかりがある。諏訪の地元の神様ミシャグチも、例の宗像教授によると、御射山(みさやま)の八口(八口大明神と言われるヤマタノオロチ?)のことではないかという事だし(それっぽい推理ではある)、東大寺大仏建立の際に水銀を献上した三重の丹生神社に近い、射和(いさわ)という場所も語感が似ている。ちなみに、射和は丹生(にゅう)水銀を原料とした「伊勢おしろい」で栄えた町である。そして、そこに位置する伊佐和神社祭神は素戔嗚である。素戔嗚は新羅の神様と言われているので、ここで渡来の話にもつながる。水と蛇の神の関係性も深いし、「射」も大物主命が変身した「丹塗の矢が射さる」というニュアンスにもなる。

いや、言いたいことはわかっている。これだけ読み手を振り回している以上、「整理してから書け!」という気持ちになるのも最もだ。しかし、私は書きながら諸問題の洗い出しをしているのである。考えなければならないことは、まだまだあるのだ。たとえば、「みくまり」の意味である。「水分」は水を配分するということ、水を分離すること、だが、熊野の「クマノ」や、大阪の百済に比されている杭全「クマタ」や、ネパールの「クマリ」は音的に関連性があるのかないのかなど。(当時は漢字が後からつけられて来たので、音で考えることが重要である)。

というわけで、問題は山積みの状態であるがため、次回以降で一つずつわかるところから整理していきたいと思う。

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